<2012.5.6>ヤマト探索隊は行く その2
・・・曇り後雨・・・

あはっ 咥え損なった奴が さっきの

餌は何処に?とウロウロキョロキョロ

してやがる 消えた発泡の中に再度

打ち込んで遣ると同じ様に黒い陰が

付いて来た すっと発泡向けて目印が

スライドして行くのを 頭上を覆う枝葉を

気にし斜めに竿を立てただけでゴンと

鍼掛かりし一旦底に引き込みグネグネ

暴れながら水面を割った

余り攻められていない流域の岩魚は

反応と出方もおっとりして楽しい


この水系は過去一度も権利漁協等の

存在はない 十数年ほど前には地元の

地区に拠る子供会イベント用の放流は

短い期間有ったと聞き及ぶだけだ

実はこの地域に関り出してもう既に

二十数余年も経ている 管理漁協が無く

其れゆえ閉鎖的な土地柄外部からの

釣り人の訪れは厳しい目で見られて居た

そんな過去も知る物で 自重してきた

此処までだった 

其れが何ゆえ今 調査名目での試釣

細分論者の雄 大島博士のヤマト岩魚

生息域の線引きは西の限界線となる

琵琶湖東岸流入河川と線引きが為され

細分論支持者としては信じられて来た

ものでした しかし残念ながら湖北の

流入河川生息域では 此れがヤマトと

言い切るにはやや無理な姿形に出会う

のが常でして 既に人為的種の入れ替え

其れによる交雑化が進み有るべき姿の

在来種として位置づけて良いのか如何か

此処が悩ましい処でありました 同じ東岸

流入河川としては長らく関って来た事で

もう一世紀も受け継いだその土地の生態

見聞きし教えを受けてきた 鈴鹿山系では

稜線から滋賀県側即ち琵琶湖流入河川

に置いては既に ある程度の結論を

見出しては居るのですが 事今回の

鈴鹿最北部の水系は此れまでの多くが

人為的介在で本来の姿を手にする困難さ

その点先に述べた排他的釣り場としては

見落とされたこの水系に 大島博士説の

裏付けにと決心するまで20年も要しました

此れまでの調査では有志各位が協力を

名乗り出て下さり 効率的な調査が可能で

有りましたが 今回場所が場所だけに

極少数 協力者二名総員三名での調査

にとなりその分機動力生かした探索にと

成ったようです


さて一つ目の谷では最終堰堤下に置いては

何故こんな色目にと思える漆黒な岩魚が

その黒の体色の奥に白い班が明らかに

その後釣れ続く岩魚も明らかにニッコウの

特徴を誇示してます その谷でのサンプル

確保は諦め今回手付かずの本命と思われる

谷へ移動何故其処で求める岩魚の採取

可能性ありとしたか それはこの土地で

長らく生きて来た今は亡き地元猟友の話し

冬季の降雪に追われた登山者が迷い込み

峻険な谷で立ち往生し救助を求めて来る

そんな事態が何度かあったそれ故に余り

人が立ち入らないそう見ていまして 一月

前に地元の年長者彼が幼少の頃からの

ここら辺りの状況に生態系を聞き合わせし

此処しかないと踏んでの計画でした しかし

この谷への突入を拒否するかの様に俄かに

覆う雲は厚さをまし叩きつける雨も更に

激しさを増したようで 悪場の突入は諦め

ざるを得ないものと成りました 分散しての

調査では矢張り白斑の多いニッコウと

判断する個体が多く 大島説の裏付けの為

調査が否定に繋がってしまうと苦笑い

し出した頃に やっと来ました此れがこの

水系の在来種という姿が 想像するに

有志によって運ばれ入れられたニッコウの

多くがしぶとく生き残るか又は代替わりし

何時か人の手のはいる範囲は其れに

占められ或いは交雑が進みニッコウの特徴

強いものと成って今がある その一見で

別種と判断できる種は 今回は回避した

奥の種沢から落ちて来たと見ています

影響が小さくなく水系の公表は避けます

しかし大島説による線引きは確かに合致

する事は確認出来 意義のある調査と

成ったようです

               oozeki
 

工事中の林道を前進

最後の人工物古い堰堤の下で

姿を現したのは真っ黒な

移動した本命の谷入り口で

矢張り白斑は目だって

このタイプが数出るサイズは小さい

今回自重した源頭部入り口での一匹

俄かに雨足は激しく暗く阻むかの様に